1. 1999年の新聞特殊指定改訂、談合と密約の疑惑、新聞ジャーナリズムが機能しない背景に何が?(2)

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2024年06月15日 (土曜日)

1999年の新聞特殊指定改訂、談合と密約の疑惑、新聞ジャーナリズムが機能しない背景に何が?(2)

「新聞ジャーナリズムが機能しない背景に何が?」の連載(2)である。連載(1)では、2つの点に言及した。企業の不祥事に対して、公権力のメスが入ることがあっても、新聞業界に限っては、例外的に摘発の対象から完全に除外されている実態を述べた。

その上で新聞人らによる不正行為の際たるものである「押し紙」行為が生む黒い利益の実態を数字で示した。「押し紙」により年間で、少なくとも900億円程度の不正な販売収入が新聞社のふところに入っている。連載(1)の全文は次のとおりである。

■新聞ジャーナリズムが機能しない背景に何が? 「押し紙」を放置する国策、年間の闇資金は932億の試算(1)

本稿では、1997年の北國新聞事件の顛末に言及する。この事件は、新聞業界に公権力のメスが入りかけたが、結局、最後は密約の疑惑がかかってもおかしくない終焉を迎えることになる。この事件は、日本新聞協会と公権力機関、特に公正取引委員会の闇を象徴している。メディア史に記録しておかなければならない恐ろしい事件である。

◆「押し紙」に関する箇所は黒塗りで情報開示

1997年12月、公正取引委員会は石川県の北國新聞社に対して、「押し紙」の排除勧告を行った。勧告の内容は、次のようなものである。北國新聞社は1992年5月ごろ、朝刊の総部数を30万部にかさ上げするために、新たに3万部を増紙して、それを販売店にノルマとして割り当てた。この行為が独禁法の新聞特殊指定に抵触するというのが、勧告理由である。

公正取引委員会は、勧告の際に日本新聞協会に対しても、同じような事象が他の新聞社でも見うけられる旨を指摘して、注意を促した。

公正取引委員会が「押し紙」を摘発したのは、新聞史の中でこの時がはじめてである。「押し紙」問題は、少なくとも1970年代から急浮上して、1980年代の初頭には、国会で繰り返し追及が行われたが、公正取引委員会は動かなかった。1997年の北國新聞に対する勧告で、ようやく解決への第一歩を踏み出したのである。

これを機として、新聞公正取引協議会(日本新聞協会の販売委員会)と公正取引委員会は、協議を繰り返すようになる。両者で解決策を探り始めたのである。そして両者は、1999年9月1日に独禁法の新聞特殊指定の文言を変更するかたちで、最終的な合意に達したのだ。

ところがこの改訂は、不思議なことに新聞社の「押し紙」政策を容易にする方向性で行われていたのだ。

表向きは、「押し紙」を排除するために話し合いを繰り返していながら、改訂された新聞特殊指定の中味をよく検討してみると、新聞社の「押し紙」政策を拡大する方向性になっていたのだ。密室で談合や裏取引が行われたと考えなければ説明が付かない。

実際、わたしは、両者の話し合いの記録を情報公開制度を使って開示させたが、「押し紙」に関する部分はすべて黒塗りになっていた。公言できない内容だったから黒塗りにしたのだろう。

黒塗りで開示された文書

事実、今世紀に入ってから、「押し紙」が急激に増え、搬入される新聞の50%が「押し紙」といった例もごく普通になった。改訂特殊指定により、「押し紙」がしやすくなった結果に外ならない。

◆新聞特殊指定の改訂後

1999年の改訂で新聞特殊指定の何がどう変わったのかを説明しておこう。読者には、赤文字の部分に注視してほしい。

【改訂前】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。

【改正後】 3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。
一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。

改正前と改正後の着目すべき変更点は、「注文部数」(改訂前)「注文した部数」(改訂後)へ変更されたことである。

改訂前の「注文部数」とは、運用細則によると、次の定義に該当する部数のことである。

「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞販売部数(有代)に地区新聞公正取引協議会が定めた予備紙(有代)を加えたものをいう。

若干専門的で分かりにくいかも知れないが、改訂前の新聞特殊指定の下における「注文部数」とは、新聞販売店が実際に配達している部数(実配部数)に予備紙2%を加えた部数のことである。販売店や新聞社が裁量による決めた部数のことではない。「実配部数」に予備紙2%(搬入部数が1000部であれば、20部が予備紙)を加えた部数が、特殊指定で意味する「注文部数」なのである。この「注文部数」を超えた部数は、理由のいかんを問わずすべて「押し紙」と解釈されていた。

つまり「注文部数」に特殊な定義を当てはめることで、「押し紙」を取り締まる意図があったのだ。特殊な意味を持たさなければ、実配部数を大幅に上回る新聞が販売店に搬入されていても、書類上の店主が注文した部数であるから、「押し紙」ではないという解釈になる。これでは「押し紙」を取り締まれないから、「注文部数」に特殊な意味を持たせていたのだ。

◆新聞特殊指定の改訂後

ところが1999年の新聞特殊指定の改訂で、公取委は従来の「注文部数」から、「注文した部数」へ語句を変更した。この「注文した部数」をどう解釈するかは、「押し紙」裁判の舞台で、江上武幸弁護士らと新聞社の間で論争が続いてきたが、今春に判決が下された2件の「押し紙」裁判(いずれも読売)の中で、裁判所が明確に判断をしめした。

それによると、改訂後の新聞特殊指定では、改訂前の「実配部数」+予備紙2%=注文部数の解釈は採用されず、実際に新聞の発注書に記入されている数字を意味する。その中に新聞社が強制した部数のノルマが含まれていても、「押し紙」には該当しないという解釈になったのだ。言葉を代えれば、「注文した部数」とは、文字通り注文した部数のことであって、改訂前の新聞特殊指定の中で定義されていた「注文部数」の解釈を無効と判断したのだ。

繰り返しになるが、新聞公正取引協議会と公正取引委員会は、北國新聞の事件を機として、「押し紙」対策を話し合っておきながら、新聞特殊指定の内容を、「押し紙」をよりたやすく放置する方向へ変更したのである。この事実が今春に判決が下された「押し紙」裁判の中で明らかになったのだ。

◆日本野球機構コミッショナーに就任

新聞特殊指定の改訂が行われた1999年に、公正取引委員会の委員長を務めていたのは、根來泰周氏(右上写真、出典:スポニチ)である。根来氏は、後に日本野球機構コミッショナーに就任する。

当時の日本新聞協会の会長は、読売新聞の渡邉恒雄氏で、「読売1000万部」を誇らかに告げまわっていた。

内閣総理大臣は、小渕 恵三議員である。小渕議員は、政界と新聞業界のパイプ役を務める自民党新聞販売懇話会の会長も務めていた。

◆経営上の客観的な汚点

新聞業界が内包している経営上の問題にメスを入れない限り、いくら新聞ジャーナリズムの堕落を嘆いてみても、解決にはならない。問題の本質は、新聞記者の士気や気概といった観念的なものの中にあるのではなく、経営上の客観的な汚点の中にあるのだ。新聞産業を見る視点を変えない限り、問題は解決しない。